60代 一人暮らしのひとりごと

心地よい暮らしをするため 日々を振り返り 覚え書きとしてブログに綴ります  ※本ページはプロモーションが含まれる場合があります

私の3.11 ②タクシーに乗って自宅へ

2011年3月11日 14:46 東日本大震災 

13年の前のあの日 信じられない誰も経験したことのない3.11

 

(庭のソーラーガーデンライト( ダイソー)です)

 

続きです

 

タクシーに乗ってしばらくしても 

小道は混んでいて大通りへ出ることが出来ませんでした

停電のため 信号が消えているためです

お互いに譲り合いながら ゆっくりゆっくり進んで行きます

 

会社の階段を下りている時に 県外の友人から電話がありました

『大丈夫? 今どこにいるの?』

状況と無事を伝えました

その後 親族や友人から沢山の電話が入りましたが

全て奇跡的に繋がって無事を伝えることが出来ました

 

小道で進めないタクシーの中でラジオが流れっ放しで

『トゥルントゥルン♪』というあの嫌な警告音がずっと流れ

『○○の海沿いの国道で200人の遺体を確認 原因を確認中です』

津波とは言ってなかったので 

私は 地震によって工場が壊れ有毒ガスが漏れたのかも

などと思ってラジオを聞いていました

運転手さんとも『何があったんでしょうね 怖いですね』

と話していました

 

タクシーの運転手さんに

『大きな地震って これなんでしょうか?』と聞いたところ

運転手さんは

『いや これは余震だよ しばらく後で本震のもっと大きな地震が来るよ』

と言っていました 実際はこれだったのですが・・

 

運転手さんはいつもの感覚で 

『こっちの小道に入ってみよう 秘密の道を知ってるから

こっちが早く進めるはずだよ』

大通りを目指した方が早く進めるのでは?と思いましたが

プロの考えに従うしかありません

でも私の嫌な予感は当たり もっと身動きが取れない状況になりました

いつまで経っても 車が進みません 少しずつ少しずつ・・

 

再び友人から電話が入りました タクシーに乗れたことは伝えてありました

『今どこにいるの? 水がある場所じゃないよね』

友人は県外でノーカットで家や車や人が流される津波の生放送を見ていました

私が『ちょうど小さい川の橋の上 そこから動けなくてとどまっている』

と言った時 恐怖と絶望で一杯になったと後で聞かされました

街の中心地で 津波が到達する所からは離れた距離だったため助かりました

 

やっと大通りに出られた時に運転手さんが

『城跡の脇の道が空いていると思うから そちらへ行こう』

と言った時 絶対に危険だと思った私は

『このまま大通りへ行って下さい』ときっぱりと言いました

結局 城跡の脇の山道は激しい崩れ方をしていて 

13年経った今も封鎖されている場所です

あの日までは 観光バスが必ず通る道路でした

運転手さんは いつもの感覚で道路を選んでいただけなのですが

道路選びのセンスがなかったな~と今も思い出してしまいます

多くの人が細い道 小道の方が空いていると選んで入った結果

よけいに混み合い そこから抜けられなくなっていたようです

 

信号がない大通りを譲り合いながらゆっくり走っていると

真っ暗な中に 煌々と電気が点いているマンションが1棟ありました

『あっ あの辺りは停電が解消されたんですね』と私が言うと

『ああ あれは自家発電があるマンションなんだよ』と運転手さん

そのようなマンションに住めていたことは

あの当時本当にラッキーでしたよね

そんなマンションがあるなんて知りませんでした

きっと今はもっと増えているのでしょうね

 

その後も やたらと細い道路に入りたがる運転手さんを

『いえいえ 大通りで』と言い続けてゆっくり家に近づいて行きました

 

私が『電気 ガス 水道 全部止まっていますよね

ああ お風呂のお湯流さなければ良かった~』と言うと

運転手さんが『ああ 俺もだ お風呂のお湯流しちゃった~』

運転手さんも一人暮らし?と思いながら 

二人でしばらく落ち込んでいました

お風呂に水があれば 手を洗うことも トイレを流すことも出来ます

あの日以来 お風呂のお湯を流すのは お風呂を洗う直前だけになりました

 

街の中心部から自宅まで

普段でしたら20~25分 当時2500円ぐらいの距離ですが

15:30くらいにタクシーに乗って 

家の前に付いたのは21:00くらいだったと思います

値段を見ると1万円以上になっていて そのまま支払いをしようとすると

『こんな時だから 痛み分けで5千円でいいよ』と言われたのです

本当にびっくりしました

痛み分け なんて優しい いたわりの言葉

多めに支払ってもいいぐらいに思っていました

 

もしタクシーに乗れなくて 雪が降る寒い中 

歩いて家までたどり着けたのか自信がありません

途中で倒れていたか 途中で1歩も歩けなくなっていたかも知れません

 

押し問答があり 結局は甘えさせて頂きました

バッグに沢山入れていた飴をせめてもと差し上げて

お礼を言って『気を付けて下さい』と言ってお別れしました

 

運転席の後ろにカードがありましたので1枚頂きました

個人タクシー組合の方で 記名がありませんでしたので

名前を書き加え 今も大切に持っています

お守りのような いつかあの時のお礼を言いたいような

あの時既に高齢だったから 今おいくつなんだろうと考えたり

あの時タクシーに乗れることが奇跡に近い状況だったのに

運よく乗れて とても穏やかな優しい方で

平穏な気持ちで帰宅出来たこと

今も感謝の気持ちでいっぱいです

 

続きます

 

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