60代 一人暮らしのひとりごと

心地よい暮らしをするため 日々を振り返り 覚え書きとしてブログに綴ります  ※本ページはプロモーションが含まれる場合があります

私の3.11 ①街の職場からタクシーに乗るまで

2011年3月11日 14:46 東日本大震災

13年の前のあの日 信じられない誰も経験したことのない3.11

 

(庭のソーラーガーデンライト(ダイソー)です)

 

あの日あの時 私は街の中心部のビルの6階で仕事をしていました

お客様と電話で対応しPCで入力 いつもの仕事 派遣社員でした

 

今思えばあの日が近付いて行く何日も何回も小さい地震が多かった

大きい地震が来るよ 来るよ とず~っと言われていて

何十年もあまりにも言われ続けて いつか来るけど今じゃない 

ずっと先なんだろうと考えていました

 

その職場の1番の男性上司は 20代か30代で若い方でしたが

とてもしっかりしていました

電話中の人も 入力中の人もいましたが 大きな揺れが始まってすぐに

『今すぐ仕事を中止して! 机の下に入って! 机の脚につかまって!!』

入力しておかなければと思った人が 机の下から目と手だけ出して

入力を続けているのを見た時はびっくりしました😲

 

揺れが何回も続いて 机の下で隣の人と『なんか大きいね』

と始めはみんな笑顔で話していました 

揺れてもすぐに納まるいつもの地震だと思っていました

上司が携帯に入る情報を見ながら

『もうすぐ次の揺れが来ます しっかりつかまって』と叫ぶ 

するとすぐに本当に大きな揺れが来る が何回もあり 

いつまでも繰り返す大きな揺れと ガチャンガチャンという音

 

トップの社員3人だけが携帯を片手に壁につかまって立っていて

他の社員と派遣社員は机の下にいました

 

その内 どんどん揺れがすさまじく大きくなって もう笑顔の人はいなくなって

『キャー』という叫び声と 泣き声

隣りで机の脚につかまっている若い男性は

『ヤバイ 車 立駐(立体駐車場)だ』

その後停電が続いたので何日も駐車場に入れたままになったと思います

 

机の脚につかまっていられなくなるほどの大きな揺れ 長く続く揺れ

これは揺れておしまいの地震じゃないんだとやっとみんなが気付きました

 

私は妙に冷静に ここでビルが潰れて死ぬのかもと思いました

私 こんな所で終わるんだ 後で身元が分かる状態で発見されるのかな

もうどうしようもない現実に 静かにじっとしているしかない状況でした

心の中で

『神様 お願いします 神様 止めて下さい』とずっと言い続けていました

 

床に音を立てて落ちるパソコンと電話機

天井材の70cm×70cmくらいの金属板がバンバン大きな音と共に床に落ちて来る

机の下にいなければ大怪我をしたか死んでいたと思います

 

『ビル横の公園に移動します そこで社章を集めます 階段で移動して下さい』

あの上司は訓練を受けていたのでしょうか 

しっかりしていて迷いがなく

若いとか関係なく安心して指示に従えました 

全員が指示に従って動いていました

 

(後で聞いた話では『トップの上司が泣き出して全く頼りにならなくて

上司を励ましたり誘導して避難したりで大変だった』

という職場もあったようです

『いつもは偉そうにしているのに本当にがっかりした』とのこと

そういう時に分かってしまいますね 

人が多い職場では 落ち着いて的確な指示が出せない上司は困ります)

 

スプリンクラーが壊れて水浸しになった階段をゆっくり下りて公園に行くと

周辺の会社やお店の人たち 住民が避難していました

その公園は地域の指定避難場所になっています

何かのお祭り?っていうぐらいすごい人数の人がいて 

泣いている人も沢山いました 

 

社章を上司が持っているケースに入れて

『気を付けて帰って下さいね』

とお互いに声を掛けてすぐ近くのバス停に行きました 

 

車線と車線の間に木が沢山の遊歩道があり 

季節ごとのイベントが公園でも遊歩道でも行われる場所で 

クリスマスから年末のライトアップされた木々の長い遊歩道 サンタパレード 

ジャズフェスティバル 市民の楽しいことしかない場所に

大勢の人が不安そうに集まっていました

 

遊歩道にも こんなに働いている人がいるんだとびっくりする程

職場ごとに集まっている輪が沢山出来ていました

スーツの人も 年齢も様々

雪の降る寒い日に ノースリーブの薄い生地のロングワンピースを着て

素足にスリッパを履いて何も持ってない若い女の子たちも

遊歩道に集まっていました 

寒そうに震えていて本当にかわいそうだった

上着を入れたロッカーが倒れたのでしょうか

 

バス停に行くと ちょうどバスが出たところでした

近くのビルの美容院から出てきた人は ヘアカラーかパーマの途中だったようで 

頭にタオルを巻いて 首から下に美容室のビニールのマントを付けたまま

美容師さんが不安そうにいっしょに立ち尽くしていました

 

次のバスを待っていましたが いつまで経っても来ません

タクシーも次々と他の人が乗ってしまう上 あまり来ない

 

デパートの店員さんが 高齢のおばあさんと一緒に出て来て 

手には沢山のデパートの紙バッグ 

運よく来たタクシーに乗せてあげてデパートに戻って行きました

歩くのも大変そうなおばあさん タクシーに乗れて本当に良かった

 

しばらく待っていると バス停に バス会社の制服を来た男性が走って来て

『すみません もうバスは来ません』と叫んでいます

バス停ごとに言って廻っているようです

『今日この後 バスは走りません バスは来ません』

 

バスもタクシーも来ない

仕方なく家の方角に向かって歩き出しました

 

幸いなことに 雪が降るかもと思ってゴム底の歩きやすいブーツを履いていました

靴は本当に大事です

あの日以降 どこで何があっても心配がないように

スニーカーや歩きやすいブーツを履くようになりました

たまたまだけど フード付きのロングのダウンコートを着ていたのも良かった

雪が降って来ました 

フードをかぶって 手袋をして 傘をさして

家まで車だと20分ぐらいだけど 徒歩だと2時間ぐらいかな~ 

タクシーに乗れるかな~ と思いながら歩きました

 

街中で堅牢なビルが多いせいか 倒れているビルはありませんでしたが

側面が剥がれ落ちていたり ボロボロと壁の1部が落ちていたり

窓ガラスが割れているビルがありました

 

小道に入ってみると車が右往左往していて混んでいます

タクシーが来ると人が走って行って乗って行ってしまいます

停電して信号が消えているから 車が広い道路になかなか出られません

 

30分程歩いて 人が乗っていないタクシーを奇跡的に見つけました

『○○へ行ってもらえますか?』

タクシーの運転手さんは少し渋りました

『う~ん ○○か~』

ちょっと中途半端な距離の場所 坂を上がって 

冬 タクシーの運転手さんが渋る場所です

でも『いいよ 乗って』と言って下さって本当に助かりました

雪が増えて来てとても寒かった

寒さと不安で泣きそうになっていました

とってもいい方で お話しながら乗っていました

 

続きます

 

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