60代 一人暮らしのひとりごと

心地よい暮らしをするため 日々を振り返り 覚え書きとしてブログに綴ります  ※本ページはプロモーションが含まれる場合があります

私の3.11 ➃被災時のお店 買えなかったもの

2011年3月11日 14:46 東日本大震災

13年の前のあの日 信じられない誰も経験したことのない3.11

 

(庭のソーラーガーデンライト(ダイソー)です)

 

続きです

 

家に1人でいると不安だったのか

営業しているお店を探して町をウロウロ

閉まっているお店がほとんどで

開いているお店には行列が出来ていました

大勢の人を見て 行列に並ぶと変な安心感がありました

『○○は営業していますよ』などの情報も入りました

家の片付けをしなければと思いながら外出していました

 

近所のアパートは 外階段と外廊下が下に落ちていました

2階の人はどうやって下に降りたのでしょう

部屋の引き上げに入るのも大変だったことでしょう

しばらくして取り壊されていました

 

塀が倒れたり ブルーシートを屋根に被せている家も

たくさんありました

業者が足りないようで ずいぶん長い間そのままでした

 

近所のセブンイレブン

内側に新聞紙を貼り巡らしていて閉まっていました

外から覗けないようになっていました

商品がなくなって入荷もなかったようで

しばらくは新聞紙を貼ったままでした

 

近所のマツキヨは 店内に3歩程入った所に

コの字型にダンボール箱が並べてあり店内には入れない状態でした

見たことのない袋入りのチョコレート菓子があり

お菓子なら何でもいいぐらい欲しかったので購入しました

 

イオンはエスカレーターが壊れ 

店内がひどい状況だったようで入れず

普段なら業者の車が入る店の裏に長机を3台程並べ

りんごやトイレットペーパーなどを売っていました

その場所にたどり着くまでに長い行列に並びました

母から聞いていた 戦争中の配給に並ぶ様子って

こんな感じなんだろうなと その頃よく思いました

イオンは営業が始まってもエスカレーターの修理が出来ず

しばらくは1階だけの営業が続きました

 

家から少し離れた場所のセブンイレブンが開いていました

売られていたのは

何も書いていないビニール袋に入った8枚切りの食パンでした

どこの物か分からない食パンが5袋

店内は見事に空っぽで その食パンだけが置いてありました

流通がなくなるとこうなるんだな~

いつまで続くんだろうと恐ろしくなりました

 

どこもレジが機能しないので現金が必要でした

今は現金をほとんど使わない生活になっていますが

ある程度の現金(特に小銭)は取って置くようにしています

 

チョコレートやおせんべいをしょっちゅう食べていたので

どこに行っても買えないと分かって悲しかった

子供じみていますが・・・

ない ない どこにもない😢

 

県外の友人が調べてくれて 

宅急便や宅配便 ゆうパックは止まっているけれど

郵便の定形外なら送れることが分かり

頻繁にチョコレートとおせんべいを

大きな茶封筒に入れて送ってくれました

本当にありがたかったです

 

子供だけでなく大人も好きな物やお菓子は大事です

心が休まる大切なものだと思います

今も チョコレートとおせんべいの備蓄をしていて

多めにストックがあります 

こんな話をすると

友人の1人は 家にあると分かると食べてしまうので

どうしても備蓄にならない ただの多めに買ったおやつ 

に なってしまう と言っていました( ;∀;)

 

ニンテンドーのDSライト(ゲーム機)とそれに取り付ける

TVアンテナを持っていて 充電が出来ていたので

停電している間は それでTVを見ていました

これはしばらく後の入院時にも持って行って

大部屋でもイヤホンをして見ていました

 

それにしても あの時ご自宅も大変な中

営業してくれたお店の方々には感謝の気持ちでいっぱいです

 

つい忘れがちな防災グッズ

毎年3月11日に 備蓄確認と見直しの日に決めて

忘れがちな備蓄を持つだけでなく ちゃんと使えるかも確認しています

 

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