60代 一人暮らしのひとりごと

心地よい暮らしをするため 日々を振り返り 覚え書きとしてブログに綴ります  ※本ページはプロモーションが含まれる場合があります

私の3.11 ③被災時の暮らしと役に立ったもの

2011年3月11日 14:46 東日本大震災

13年の前のあの日 信じられない誰も経験したことのない3.11

 

(庭のソーラーガーデンライト( ダイソー)です)

 

続きです

 

幸いにも家はありました

家を見るまで 家はあるのだろうかと不安でいっぱいでした

やっと帰宅出来てほっとしたものの

家の中は凄まじい様子でした

家は高台にあり岩盤を削って住宅地にしたと言われていて

堅牢な土地ですが 大きな揺れの影響はありました

壁という壁 壁紙は全てビリビリにひび割れが出来ていました

 

食器棚や 本棚など 背の高い家具には

以前から 地震対策用の突っ張り棒を取り付けていました

家具は倒れてはいませんでしたが 突っ張り棒が外れないままずれて

家具も大きく移動していました

(今の目標は 突っ張り棒が必要な背の高い家具は置かないということです

まだいくつかあるので 今年中になくしたいと思っています)

 

食器棚の前に 扉が開いて落ちて割れた食器が山になっていました

時間をかけて集めて大切にしていた食器はほとんど割れました

引き戸(横にスライドする扉)の方が中の食器は無事でした

開き戸(蝶番があり前後に開閉する扉)は何度も開いて閉じて

その都度 床に落ちる を繰り返したようで

帰宅して見た時は 閉じた扉の内側に食器が寄っていて

床に大量の食器が落ちている状態でした

そういう背の高い家具の怖さもあって このブログに書いたように

食器棚の上の部分を外して使っています↓

sayanikki.hateblo.jp

 

他の家具も同様で 開き戸の中の物は大量に床に落ちて

歩けない程 落ちた物が山になっていました

扉の蝶番が壊れて扉が中途半端に外れているのもありました

 

シンク下の扉も開いて収納していた物が山盛りに床に出ていました

冷蔵庫も信じられないくらい移動していました

 

家中のぐちゃぐちゃに落ちた物を片付け 

壊れたものを捨てる作業に長い時間を使いました

電気 ガス 水道 も止まっています

疲れているし寒いし本当にきつかった

 

リビングの壁に 額に入った絵を掛けていましたが

床に落ちて額が壊れてしまいました

物を少なくシンプルに暮らすことの大切さを感じました

雑貨が多く 飾ったりするのは大好きでしたが

もっと減らさなければ危険だと思いました

 

派遣会社の支店長からメールが届いて

優しいいたわりと心配のお見舞い文と

派遣先の職場は壊滅状態で復帰出来るかどうか分からない

(天井の金属板が落ちて 階段のスプリンクラーが壊れて水浸しでした)

次の仕事を紹介するが 3月中は自宅待機で1ヶ月分のお給料を出します

というありがたいお知らせでした

 

防災グッズとして意識していた訳ではありませんでしたが

無い!と慌てるのが嫌いで 

何でも多めに買い置きしたり 

作り置きする癖があったことは幸いでした

 

トイレットペーパー12個入りを5パック程買い置きしていました

ティッシュペーパー 洗剤 食品・・・・・

一人暮らしなので 病気や怪我で買い物に行けなくなった時のことを考えて

何でも多めにストックしています

今もトイレットペーパーは必ず6パックの在庫を持つように気を付けています

 

ガソリンもいつも多めに入れていて助かりました

ガソリンが切れて道路に乗り捨てられている車を何台も見ました

流通が途切れてガソリンの入荷が途切れがちになり

開店しているガソリンスタンドの前には車の長蛇の列 

道路を挟んで まだ行列が続いていました

私の車のガソリンは ガソリンの入荷が通常の状態になるまで

なんとか間に合いました

常にガソリンを入れておくことを今も心がけています

 

冷凍庫に入れていた

会社に持って行く作り置きのお弁当が5日分程ありました

食材も多めに買い置きがありました

停電していて寒い日が続いていましたが

カセットコンロで温かいものを食べることが出来ました

灯油ストーブ地震がある度に消したりしながら暖を取りました

 

ほとんどの店が閉まっている中

ケイズ電気は人数制限で入れました

行列に並んで10人ずつぐらい店内に入れます

カセットコンロカセットボンベを買い足せました

店にあるものを買うので商品はとても少ないです

商品の補充はありません

ガスの復帰が遅かったので

電気が復帰した時用に ミニグリルパン(電気のホットプレート)

手洗いや洗顔や洗い物にお湯を使いたいので 

よくスポーツの現場で使っているのを見る

ウォータージャグ(保温が出来てお湯を溜めて下にある蛇口を開閉して

使います)も買いました

電熱器(コイルのコンロ)もこんなのあるんだと思って買いました

ガスが復帰するまでは ストーブと電熱器とカセットコンロでお湯を沸かして

何回か洗面器にお湯を入れて髪や体を洗っていました

仕事が始まってバスに乗ると 

洗髪が出来なくてネチョネチョの髪のサラリーマンを多く見ました

たぶん奥様やお子さんにお湯を譲ったんでしょうね

 

庭にホームセンターで購入したソーラーガーデンライトを3個置いていました

今置いているダイソーのより大きめの物でした(↓これはダイソーのものです)

棒の上にライトを置いている状態なので

日中太陽光で充電して

夕方になると 上のライトの部分だけ室内に持って来て置いていました

暗い室内は本当に怖いし 不便です

 

日本の夜は明る過ぎるそうですが 

真っ暗な室内は 信じられないくらい恐ろしい

電灯のありがたさを感じました

ローソクは危ないと思って 持っていますが点けませんでした

 

部屋や廊下 トイレに持って歩きました

毎日 室内に持ち込み また外へ出すのはちょっと面倒でしたが

明るく照らしてくれて 本当に持っていて良かったと思いました

 

飲み水は箱買いしている物がありました

トイレと 体をきれいにするために

1日置きぐらいに水を汲みに行っていました

近所の小学校に自衛隊給水車が来る日がありましたが

水の量が少ないんだろうな~と思って

歩いて水汲みに行く人に譲るために

少し離れた中学校に行っていました

 

中学校のグラウンドの隅に非常時用の水の配管システムがあり

(グラウンドの隅にそんなものがあるなんて知りませんでした)

鉄板の蓋を開けて 寒い中 鉄板の冷たい枠に若い男性が交代で座って

脚で漕ぐようにポンプを動かして水を出していました

本当に大変そうでした ヘトヘトになっていました

たくさんの車がグラウンドに駐車していて

手に水を入れる容器を持って グラウンド中グルグルと渦を巻いて

行列に並びました

しばらくすると 技術を持っている人が改良してくれたとのことで

脚で漕がなくても 3個の蛇口から自動的に水が出るようになりました

 

グラウンドのネットの外から『家は水が出ているから汲みに来て下さい』

と声を掛けられることがありました

中学校の近くのコンビニやイエローハットでも

水が出ているから自由に汲んで行って下さいと言われ

何度か頂きました

みんな本当に優しくて親切で 今思い出しても涙が出ます

 

汲んで来た水を浴槽に入れて 1日置きぐらいに水汲みに行きました

バスタブは水を溜めておく容器になっていました

繰り返すとバスタブの底にグラウンドと同じ色の赤土が溜まって

びっくりしました 

トイレに流すぐらいにしか使えないな~と思いました

 

ガスの復帰が最後でしたが 水道が止まるのが1番きつかったです

普段何も考えずに使っています

飲む 食器や調理道具を洗う 調理する 洗濯 掃除

手を洗う 顔を洗う お風呂 シャワー

1つでも 水を使う どうしよう なんて考えながら生活したくないですものね

 

友人は被災時 1週間帰宅することが出来なくて会社に泊まっていました

その後は下着と着替えを数日分 会社のロッカーに入れているそうです

 

被災した時 準備していても無駄な状況かも知れないし

どいういう場所で というのは予定も出来ないけれど

家があっていられるなら 帰宅出来たら と考えて 

思いつく限りの準備をしておきたいと思います

 

①②➃のブログはこちらです↓

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