60代 一人暮らしのひとりごと

心地よい暮らしをするため 日々を振り返り 覚え書きとしてブログに綴ります  ※本ページはプロモーションが含まれる場合があります

旅行③ 大麻比古神社 ドイツ橋 めがね橋 ドイツ館

大麻比古神社(おおあさひこ神社)

1番札所 霊山寺(りょうぜんじ)の近くに大麻比古神社があります

徳島県内一の大社として有名な神社で 身近な存在として古くから崇拝されています 

お正月は23万人を超す初詣客で賑わうそうです

 

四国霊場八十八ケ所に向かうお遍路さんが

道中の安全の祈願をするそうです

 

大鳥居

 

境内マップ

 

獅子(しし) 狛犬(こまいぬ)

 

手水舎

 

手水のつかい方 の絵が可愛い(^_^)

 

 

御神木 大楠(おおぐす)

樹高22m 胸高周囲8.3m 樹齢約千年の楠(くすのき)

御神木に拝礼したあと 樹を仰ぎ見て 両手を広げ 目を閉じて

パワーを浴びて来ました

 

神霊宿る御神木として 大注連縄が廻らされています

 

 

 

境内は広くてとてもきれいです

 

 

大麻比古神社ご朱印

 

裏の奥にある 奥宮 峰神社 のご朱印

 

大麻比古神社ご朱印だけだと300円

 

奥宮峰神社は山頂まで徒歩90分ですが そこまで行かないで

大麻比古神社のすぐ裏の奥宮遥拝所を参拝しご朱印を頂けます

2枚で500円です

 

ドイツ橋 と めがね橋

大麻比古神社のすぐ裏にあります

 

ドイツ橋

小さくて可愛い橋です

こちらは 安全保存のため? 見るだけで 渡れません

 

第一次世界大戦当時 近くの坂東俘虜(ふりょ)収容所で俘虜生活を

過ごしたドイツ兵士が 地域との自由な交流の中で

地元への感謝の気持ちを込め 母国の優れた土木技術を生かし作ったそうです

 

 

めがね橋

ドイツ橋と共に現存する1つで 本殿裏の心願鏡の池にかけられています

こちらは 橋の上を渡ることが出来ます

 

小さくて 美しい橋です

 

ドイツ館

大麻比古神社の近くにドイツ館があります

1階は 案内所とショップ 展示施設になっています

2階の観覧は有料です

 

1914年(大正14年第一次世界大戦中 

日本が同盟国のイギリスの要請に応じて 

ドイツ軍の拠点である中国・青島を攻略しました

 

敗れたドイツ軍将兵約6400人が 俘虜として日本に送られ

全国6ヵ所の収容所に分けられ

その内の約1000人が徳島の坂東俘虜収容所へ送られました

 

彼らが収容所に到着すると 

所内からドイツの「プロイセン行進曲」の演奏が聞こえました

先着していた俘虜たちが歓声で迎えて 驚かせました

 

そうですよね

捕まって捕虜になる若者たち これからの生活や待遇に怯え 

絶望していたことと思います

 

全て 所長・松江豊寿のはからいによるものでした

『彼らも祖国のために戦った勇士である 名誉を傷つけてはならない』

 

このお方です

この時代に こんなに素晴らしい方がいらっしゃったんですね

松江豊寿陸軍中佐は 明治6年(1873)

福島県会津若松で生まれ育っています

 

父親は 会津藩士で会津戦争を戦い 

降伏後 厳寒と飢えの中 苦しみを味わいました

 

降伏後は移住させられ 戻って松江氏が生まれます

松江氏は 父親から 会津藩士が武士の誇りを抱いていかに立派に戦ったか

また 絶望的な生活で いかに必死に生き抜こうとしたかを

子供の頃から繰り返し聞かされ

敗者への酷い仕打ちは「恨み」しか残さないことを知っていました

 

2013年綾瀬はるかさん主演のNHK大河ドラマ

『八重の桜』を思い出しました

武士道

ならぬものはならぬのです』という

会津藩士の子供たちが教え込まれる「什(じゅう)の掟(おきて)」

綾瀬はるかさん 凛々しくて 毎週楽しみに見ていました

『だめなものはだめ』大人も子供も心に刻まなければいけませんね

 

 収容所内で 俘虜たちへの暴力を許さず 

警備兵に 人道的に接するように命じました

 

毎日焼きたてのパンが食べられるように 製パン所を設けたり

ビールや煙草も認めました

 

行事がある時は 就寝時間を2時間遅らせて 酒宴を開くことも許しました

 

俘虜の大半が一般義勇兵で 手に職を持った者が多いと知ると

本職を活かして店舗を開くことを認めます

 

所内に 家具製造 金属加工 仕立業 理容 ボウリング場 音楽教授

食肉加工所 アイスクリーム ケーキ クッキー 製本 図書館

印刷所 が並び 印刷所では収容所新聞が発行されました

 

地元の人たちとも交流し 楽器を教えたりしていたそうです 

 

楽器も道具も本も食品も 必要なものは全て用意してあげた という事ですよね

こんな収容所が他にあったでしょうか

 

1917年から1920年の3年間という事で そんな短い間?と更に驚きました

 

俘虜たちは活気に満ち 松江氏に心を開きます

東京の陸軍省は 俘虜に寛大な松江氏を快く思わず 圧力をかけますが

「収容所であって 刑務所ではない」

と松江氏は従わなかったそうです

 

 

ベートーヴェン

ベートーヴェンが なぜ ここにいらっしゃるか と言うと

俘虜たちによって 

ベートーヴェンの『第9』が日本で初演されたためだそうです

 

日本の風物詩 年末の『第9』の始まりがここです

(色々な説がありますね♪)

 

足りない楽器を作ったり(楽器職人もいたのでしょうね)

第9の合唱部分を 男声合唱に編曲して 全楽章演奏したそうです

ただただ驚きと感動です

 

ドイツ館の前の ベートーヴェン像 

 

道の駅の駐車場から階段で ドイツ館へ

ドイツ館は 収容所で過ごしたドイツ兵たちの様子や

地域の人々との交流の様子を展示した史料館です

 

大麻比古神社裏の ドイツ橋 めがね橋 も

ここに収容されていた捕虜たちが作り 

地元の人に技術を教えたんですね

感慨深いものがあります

 

神社の裏の ドイツ橋めがね橋

神社に参拝に行っても 裏にあるため 気付かない人が多いそうです

大麻比古神社に行った際には ぜひ行ってみて下さいね

 

続きます

 

 

 

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